シェトミタカ通信

シェトミタカ通信

◆シェトミタカの日々の出来事◆バースデーケーキは数日前までの完全予約制です◆
大分県別府市竹の内2組
open 10:00〜18:00 日曜17時閉店◆月火曜定休日(不定休日有り)


☎︎0977-25-9910


patisserie opened in beppu in 1997



私の修業時代 第32話 先輩と待ち合わせ


あらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
サテライトホテルヨコハマの菓子部門に入社し、時に悩みながら少しずつ成長して行くのでした。



ベーカー部門で仕事を教わりだして二ヶ月余り、そろそろ夏を迎えようとしていました。

相変わらず浜田さんから叱られる事も有りますが、カスタードプリンやクレームパテェシエール、チーズスフレケーキなど少しづつ作るのを任される仕事も増えてきました。

チーズスフレなど、よく失敗して膨らまない時も有りましたが、最近は上手く上がるようになり、

『これならチーズケーキ屋さんが開けるよ。』と永江チーフが褒めてくれたりする日も出てきました。


休日や仕事が早く終わった日は横浜駅まで電車に乗り、本屋さんを覗いては菓子の本を探したり、立ち読みしたりしていました。料理の本も見るんですが、製菓の本を見る方が多くなっていました。

この頃から少しづつケーキ作りに興味が出てきたのかも知れません。今はインターネットで検索して直ぐ何でも調べられますが、あの頃は書籍か直接教わるしか方法は有りませんでした。


サテライトホテルの調理部では辞令が交付されました。



チームを組んでる浜田さんが、ベーカー部門からレストラン部門へ戻る事が正式に決まりました。

しかし、浜田さんがレストランに帰るまでに私達に引き継ぎを終わらせるのが条件のようです。


浜田さんは夏が終わったらレストランに戻れ、ベーカーは1人減って四人体制。クリスマスや忙しい時は手伝うそうですが、要は浜田さんの抜けた部分を新入社員の私達三人、草刈さん、伊南さん、冨高で埋めなければなりません!



永江チーフがチーズスフレを褒めてくれたり、浜田さんの指導もさらに厳しくなったのも今思えば納得です。



浜田さんの作業の始め方は特徴がありました。


まず、作る時に使う器具を全て準備させられます。


次に材料の計量や型の準備です。


以上のものが全て揃ったら仕込みがはじまります。

そして、すべての作り方をメモに書かされました。


《*カラク*〜チョコレートのケーキ》

◯ 準備する道具

・ボール 大 ① ボール 中 ②

・ホイッパー 中 ①

・20コートミキサーのミキサーボール①

・20コートミキサーのビーター ①

・ゴムベラ 大 ① 中 ①

・ …………

※1コートは約1リットル。20コートは約20リットルのミキサー。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◯ 作り方

①チョコレートを湯煎にかけて溶かす。

②常温で柔らかくなったバターをミキサーに入れ、クリーム状になるまでビター1速で回す(約5分)

③ミキサーの回りや底の部分をよくゴムベラで払う

…こんな感じで、全ての作り方を全部メモをさせられます。



『よし、じゃあ カラクを仕込んで焼くぞ!』と浜田さんが言うと、

『はい!』と私が返事をしてボールや必要な器具を準備してテーブルに並べるのです。


『オーブン(スイッチ)入れたか?』

『湯煎(ガスの火を)つけたか?』

『じゃあやってみろ。』と浜田さん。


ここで本当に作るのではなく、作る手順を動作だけで演るんですよね、エアーでのケーキ作りです!


それが流れ通りうまく出来たらはじめて実際に材料を触って作り出すのです。完全にアタマの中でイメージできないとやらせて貰えないんですね。


そんな浜田さんが

『冨高、今日終わったら何するん?』伊勢訛りで聞かれました。


『あ、別に…』と私が答えました。


『じゃあ、ちょっと付き合え…。』


その日は仕事が終わると浜田さんと従業員出口で待ち合わせしました。


『 着いて来い。』と浜田さんは言い、山下町から横浜駅方面へ歩きはじめました。



浜田さんが先を歩き、私が2、3歩後を歩きました。友達でもない先輩と並んで歩けないのが料理人や職人の上下関係でした。


20コートのミキサー



さぁ明日からゴールデンウィーク2024のはじまりですね

本日はバスクチーズケーキや焼き菓子など、ゴールデンウィークのお土産用の方が多かったようです。


シェトミタカはゴールデンウィーク中も
月火がお休みになりそれ以外は営業中です。


楽しいGWをお過ごし下さい♪






私の修業時代 第31話 いざ後楽園


あらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
サテライトホテルヨコハマの菓子部門に入社し、1ヶ月が過ぎた頃、休日に都内のサテライトホテル後楽園へ…。

※登場人物は全て仮名です



サテライトホテル後楽園に行くために、
横浜駅に集合した新入社員は私と氷川さんだけでした。シフトの関係もあって参加者は少なかったですね(笑)

後楽園に向かう電車の中では二人でしたが、あまり話した事のない氷川さんが喋ってくれ退屈はしませんでした。

神奈川県内の高校を今春卒業して入社した氷川さんは、高校生でも充分通じるちょっと気の強い明るく素敵な女性でした。 今日は二人だけなのは承知で、彼氏とは遠距離恋愛中だし暇なので私を案内してくれるようです。後楽園に行く電車の乗り換えも全て教えてくれ、連れてってもらいました。


サテライトホテル後楽園へ訪問すると、新入社員の皆んなが歓迎してくれました。


坂下さんからは、

『え〜、二人で来たの!? カップルみたいだよ〜』と笑われましたね。


後楽園ホテルのショーウィンドウに映る私と氷川さんを見て、初めて気づかされました(汗)


サテライトホテル後楽園ではランチを食べ、お茶をして新入社員達の働いてる姿も拝見したり、、再会を喜びました。
まぁでも皆んな仕事中ですし、邪魔になっても困るでしょうから、早々とホテルを後にしました。


『せっかくここまで来たんだから後楽園遊園地で遊んで帰りましょう〜』と氷川さんに誘われ、乗り物に乗ったり、小学校の子供会以来の遊園地でした。

どちらかと言うと、サテライトホテル滞在より遊園地がメイン?になった後楽園訪問でした。
あの頃は後楽園遊園地、後楽園スタジアムでしたが、今は東京ドーム、東京ドームシティですね。







後楽園ゆうえんちでたっぷり遊び、帰りの電車に乗る頃には氷川さんとはすっかり気心の知れた仲になっていました。
1日遊んで横浜駅に着いた頃には、すっかり暗くなっていて夕食の時間帯でした。


『もうこんな時間ですね、晩御飯でも食べますか…』氷川さんが聞いてきました。


『もう帰ろっか〜、じゃあまた!』私は小走りで駅の雑踏の中に消えて行きました(汗)


氷川さんからのせっかくの食事の誘いを断ってしまいました。女性と一緒に夕食を食べる勇気が無かったですね。
昼間のホテル内ランチは想定内ですが、、
夜のディナータイムに女性と2人っきりで食事なんて想定外!今で言う草食系男子?でしょうか。


多分、急に氷川さんを女性として意識してしまったんでしょうか、、食事くらい付き合えないなんて情けないですね。

坂下さんにも好意を持っていましたが、友達としてでしたからね。恋愛よりも仕事の方に興味が有りましたし、まだまだ彼女とかは修業の邪魔になるって真面目に思ってた頃でした。。







私の修業時代 第30話 サテライトホテル後楽園



あらすじ

1987年昭和62年に高校を卒業した私は、横浜の調理師学校へ入学し、スペイン料理店でアルバイトをしながら少しずつ新生活になれて来た頃には就職活動。不採用になったりいろいろ経験し無事に就職先も決定したのでした。
そして入社式の日を迎え、
新入社員の面々と共に成長していくのでした。

ホテルの菓子部門に入社し、1ヶ月が過ぎた頃の話しへ

※登場人物は全て仮名です




仕事が終わってからのパイピングの練習も1ヶ月。

伊南さんと練習をしながら、情報通の伊南さんは、


『コックさんの◯◯さんとフロント係の◯◯さんは結婚するらしい…。』とか、


『◯◯さんはサンルートから来たらしいよ。』


『後楽園の◯◯さんと◯◯ちゃんは…』などなど、、

二十代の私達は仕事が終わると、文字書きやナッペの練習をしながら近況を話したりしていました。

たまに他の新入社員やコックさんも仲間に入りながら、練習をしたり雑談したり、ベーカーの横にある調理部のデスクで、お茶を飲みながら明日のスケジュールを話し合ったりするまでになっていました。


とにかくサテライトホテルは新人や社員をのびのび育てる環境でした。パワハラやら存在しない、そんなのんびりしたホテルでしたし時代でした。


『冨高君、坂下さんに電話した?』と伊南さん。伊南さんは二つか三つ年上なのでちょっとづつ姉御っぽくなってるような。


『うん、今度サテライトホテル後楽園に遊びに行くよ〜と話したよ。休みの人達皆んなで行く事になってたよねぇ。』


『そっちは日野山さんに話した?』と私。伊南さんはひとつ先輩の日野山さんがお気に入りでした。


どこの会社でもそうかも知れませんが、新入社員の頃は仕事も大事ですが、恋愛にも関心がある時期でした。昭和ならではかな、、。

新入社員研修の時から私が後楽園の坂下さんに好意を持っているのを知り、伊南さんが連絡先を教えてくれたのです。あの頃は新入社員同士集まると、調理師学校の時もそうですが、


『俺、◯◯さんがイイよ!』とか

『お前、誰が好きなんだよ、◯◯◯だろ?!』とか、すぐそんな話になっていましたが、今の若い人達もそうなんでしょうか。。

新入社員同士で話していて、好意を持っている人をカミングアウトするのがごくごく普通の事でしたね。

サテライトホテルでは恋愛にも大らかで、、職場結婚も多かったですね。数年後にですが田盛も宮脇君もサテライトホテルで職場結婚しましたから。

ホテル側も結婚を推奨するような雰囲気が有りました。早く結婚すれば職場にも腰を落ち着け、仕事にも精進すると言う考え方でしょうか。恋愛も仕事の内みたいな。

あの頃は婚活とかは無かったですよね。今は自治体や国が結婚をサポートする時代ですから羨ましいですね。


入社して1ヶ月余りの若葉の頃、

サテライトホテル後楽園へ新入社員の休みの人達で遊びに行く話が持ち上がりました。
後楽園と横浜のサテライトホテルは姉妹ホテル同士で伊東での新人研修で知り合い、新入社員達もお互い電話をするほど仲良くなっていました。



『じゃあ行ける奴らだけで後楽園へ行こう!』と、仕事が休みの新入社員で、横浜駅に集合する事になりました。


私は横浜駅にお土産の自分で焼いたマドレーヌを持って集合すると、『私達だけですね〜』と、新入社員のショップ店員の氷川さんが待っていました。


何と、
ふたりだけでサテライトホテル後楽園へて出かける事に!


『とにかく、行きましょっ!』と氷川さんに連れられ目的の電車に乗り込みました〜


めざすは東京の後楽園です!!


※サテライトホテルは2000年はじめにグループ会社の業務効率化に伴い閉館しています